年頃オンナと父と介護と

アルツハイマー→ピック病と診断が変わった父、同年代が愛だ恋だの言ってる時から介護と戦う乙女の日記!!

帰ってこれない徘徊

ここ数ヶ月の間

 

父が自力で帰ってこれなくなり、幸運にも親切なおば様に2回も助けて頂きました。

 

幸い、1回目は携帯を持っていたため連絡してもらえたこと、

 

2回目はお家の中からたまたま困ったように覗いていた父を発見してくださり事なきを得た。

 

 

 

 

いや、得てないだろ!

 

 

2回とも夕方から夜の出来事。

 

しかも1回目は小雨も降っていてしまい、2回目の時なんかめちゃくちゃ寒い日だった。

 

徘徊は介護する側にとってもかなり大変な項目の一つです。

 

今回も、もし一人で夜の中さ迷い続けていたら、下手すりゃ命に関わっていたでしょう。

 

我が家は田舎なのである程度の庭があり、

 

集合住宅と違って門にセキュリティ万全な扉があるわけでもなく、

 

玄関扉を出てから先の行動は常に見張っていない限り、全ての把握は難しい。

 

家族として、人様に迷惑かけないようもっと見張らないといけないのはわかっていますが、

 

いかんせん、身体がいたって元気なので、足かせでもしてない限り

 

 

本人の動きを封じるのは不可能に近いのです。

 

 

本人も帰ってこれなくなる、という自覚が多少なりともあるようで

 

 

昼間のうちの散歩でもほんの数mしか出歩かない時もあるのですが、

 

 

何が引き金なのか、ふら〜と門を開けて出て行ってしまいました。しかも夜に。。

 

 

本人にとってはちょっとその辺まで、という気軽な気持ちなのでしょうが、

 

 

振り返るともうどっちから来たのか、ここがどこなのか、

 

 

家を斜め前にしてもわからなくなるのです。

 

 

部屋から出て行く際に、母や私が

 

 

どこ行くの!?

遠く言っちゃダメだからね!

携帯持った?!

寒いんだから上着きて!

 

などなど言うと

 

自分に指図ばかりされている、しつこい!などフラストレーションが溜まるのか

 

たちまち不穏状態になり、

 

逆にムキになってどこか出かけようとしてしまい、逆効果に、、、

 

 

 

 

 

助けてくださったおば様は

 

『もっとお父さんが困らないように携帯操作を教えてげて!短縮ボタンとかも!』

『お父さんがお家から勝手に出れないようにちゃんと鍵かけたり工夫しないと!』

 

と叱咤激励、して下さいました。

 

 

 

父の動きを注意すれば、我々介護する側に激昂

 

父の動きを封じようとすればさら大爆発

 

本人の意思を尊重し、ある程度自由にさせてあげれば行方不明に

 

本人が見つかれば今度は他人からもっとしっかりしないとと注意され

 

もうすっかりその事を忘れた本人からはまた激昂され、、、

 

 

私も母ももはや八方塞りなのです。

 

 

 

 

コウノメソッドから半年。。。

父の経過を書きたいと思いながら、前回の書き込みから半年近く経ってしまいました。

 

ここ最近はひと月に1回通いながら、薬の適量を先生に調整して頂いています。

 

ピック病と診断され、アリセプトの服用を辞めて

 

フェルガード100Mと、ウィンタミン、レミニール(この2つは河野先生曰くピックセットと言うらしい笑)

 

の薬に変えてからの父の様子は確かに興奮などの不穏状態はだいぶ緩和されたように感じますが、

 

同時に記憶力は確実に悪くなり、会話も最近はなんだか噛み合っていない事が多々あり

 

認知症としての症状はこの一年で急激に進んでしまいました。

 

アリセプトを飲んでいたらまだマシだったのかと考える時もありますが

 

単純にそうとは言えない気もします。あのままだと突然ブチ切れる父はさらにエスカレートしていたでしょう。

 

ここ数ヶ月、父は20年近く付き合っていた相棒とも言える愛猫2匹が他界し、

 

さらに慕っていた叔母まで亡くなってしまい

 

と大切な存在との別れが続いたのですが、、、、

 

当然、なんのことやら、記憶の中から抹消されています。

 

叔母の法要には行きたくない、というか事態が飲み込めないのか

 

久しぶりに不穏状態になってしまった時もあり。。。

 

 

なんだかなぁ〜自分の大事な人、物の事がまるで最初から無かった事のように脳内で処理される、

 

病気の残酷さを改めて思い知らされました。

 

最近はピック病の症状が顕著で、

 

叔母の法要は

 

『寒いのに行きたくない!!』←車移動だし、、、てか私だって寒い

『なんで俺が行かなきゃ行けないんだそんな遠い所』←遠くないから

『俺は行かなくて大丈夫だな、代わりいけるんだろ!』←アンタの叔母さんでしょーが

 

とまぁ健常者のフツーの大人の発言、むしろ学生でも許されない無責任発言のオンパレード。

 

しょうがないのはわかってるんです、普通じゃないんですからね。

 

だけど、こっちだって天使じゃないんだからなんでも笑顔で流せないわ!と突っ込みたくなり。

 

 

自分の娘が死んだとしても他人事なんだろ〜な、

 

私の葬式も、寒いから行きたくない!とか言われちゃうのかしら。。。

 

しょーがないんだけどね。

 

最近はしょーがない、が座右の銘になっているような気がしています。

蝉さん

毎日まだまだ暑いですね。。。

我が家の父は体温感覚はまだ自分でわかっていますが

エアコンがきいた室内にしばらくいてその気温を寒いと感じると、外気の薫製になりそうな暑さはすっかり忘れてしまいます。

なので室内で寒くてはおった上着を着たまま表に行ってしまうのです。

そしてしばらくして暑すぎてその上着を脱いで、庭の適当な所に置いたまま部屋の中に帰ってきてしまいます。暑い暑い言いながら。(おーい上着は?と毎回ツッコミ)

その度にこちらで回収しなければならない、面倒さ…

しかも昔の人間なのか、あまりに冷えたエアコンの空気が時々嫌になってしまうみたいで、窓を大きく開けてしまい、その後そのまま閉めるのを忘れてしまいます。

ベランダの窓を開けたって当然涼しい風なんかはいってきやしません。猛暑だってのに。。

せっかくの冷えた空気が一瞬にしてモワ〜とした暑さへ…--;

そんな所に帰宅する、私と母はとても辛い!笑

本人曰く『たった今新鮮な空気の入れ替えをしてたんだ!』と言い訳してますが

どう考えても1時間は開けっ放しだったであろう気温。エアコンの電気代も水の泡だよ。。。

ですが、先日の診察の際に先生は、

着替えや洋服での調節は家族がアシストしてあげることが大前提

本人が暑い、と正常な感覚を感じられているという事が重要。

基本的にいつもと違う変化は本人にとっては恐怖を感じるものであって、衣替えが苦手な認知症の人が多い。

例えば、梅雨時期まで着ていた長袖の上着を、衣替えによって急に着なくなる

という変化した何気ない小さな事が本人にとっては、とても不安になる。

だから夏の暑い時期になってもなかなか今迄着ていたものをやめずにそのまま継続して着用して熱中症になってしまう患者さんが多い。

この時期は特に家族の方で洋服管理は徹底してあげて、長袖は目の届かない所に仕舞う事。

 

と言われました。

確かに、暑い、寒いの感覚がまだ正常に感じられるだけでも良しとしなければ、なんですよね。脱ぎ着したものをどっかに置いて来ちゃっても、まぁ感覚はまだ確かなわけだし。

自分の足で立って元気に歩いて箸も持って食べれる、トイレお風呂もまだ自分で出来てる、というのは、案外、父にとっては凄い事なんだよなぁと改めて考えさせられました。

 

そして、最近、我が家の庭やら玄関先やらでたくさんひっくり返っているセミたち。

死んでるものだったり、死んだふりして暴れ回って騒いでるのもいたり…

私は大大大の苦手なのですが(; ;)

そんな困っているセミを、何食わぬ顔して

素手でふわっと持って近くの木に乗っけてあげている父。

父の手の中でジーーーーージーーーーー

そりゃすんごい雄叫びのように鳴きわめくセミさんですが、

『わかったわかった、ちょっとしか飛べねえもんなぁ』となだめて木に乗っけてあげているのを見ると

まだ人に対する気遣いというか、まだ何か助けたりとかできるんだな〜と

(てか蝉の命が短いってのは頭に入ってんのねぇ〜)

本来の優しい性格が垣間見えて少し嬉しいような安心というかなんとも言えない気持ちになりました。

 

 

人じゃなくて虫、だけどね…。

 

 

 

フェルガードの効果は?

コウノメソッドを知ってからというもの、早4ヶ月くらいたちます。

そしてフェルガードを服用し始めても4ヶ月くらい。。。

効果ってどんなもんなのかしら?と気になる方も多くいらっしゃるのではないかと思います…。

 

実際、我が家の父はピック病という診断も追加されましたので、フェルガードにウィンタミンが追加。なので今の状態が純粋にフェルガードのみの効果とは言い難い所があります。

約10年ほど飲み続けて来たアリセプトは当初10mgだったのが5mg、先月からは3mgと減少。一番最初の飲み始めた量に戻りました。

そして先生の診断では、アリセプトはいづれ無くしてもいいのでは、とも仰っていました。

 

ここ最近の父は興奮する事は以前に比べ少なくなったと言って良いと思います。

いつもと違う行動パターンをしたり、お金に関わる事だったりには少し興奮した様子が見られる事もありますが、それでも極端に恐ろしい形相になって暴言を吐いたりする事は減ったように感じます。

アリセプト自体に少なからず興奮作用もあるようなので、なんとも言えませんが

ウィンタミンの興奮抑制作用 + アリセプトの減量が不穏状態を軽く出来ているのかもしれません。

 

気になる記憶状態ですが、

んんん、、、まぁ相変わらず良くはありません。さっき話した内容も覚えていないのはもちろん、自分の行った行動、言動はザルで水を掬うがごとく。。。

部屋の中がクーラーで涼しいと今がだと言う事を忘れて長袖セーターを着用してしまい、そのまま外に出て行く始末。この酷暑って時に…逆に凄いわ。。--;

 

このまま、アリセプトを辞めてしまう事によってガッックとさらに記憶力が危うくなるかもしれないのが不安です。

アリセプトが減量された事によって記憶能力が落ちてくるのか、それともこの進行具合はどちらにしろ自然なもので、アリセプトの減量分がフェルガードで補えているのか。

 

私たち家族にもとても判断が難しい。

でもコウノメソッドは一番近くで患者に接している家族の判断がとても重要になります。

先生も私たち家族が、患者をどう見て、どのように感じ、どのようにしたいのか、

という事をその都度確認して診断を進めています。

介護するこちら側の意識もとても重要なものになるんですよねぇ、まあ何の病気にも通じるとは思いますが。。

なんだか、

コレ、いつ頃出来なくなったけ?これまだお父さん出来るよね?

といった父が変化してきた事頃の記憶が、私も母も毎日見ていると逆に忘れがちになってしまって…こちらの記憶力も危ういです;

 

私も母も脳トレしないとかしら〜

new car

我が家の車が以前から不調だったため、今回買い替えを検討しています。

しかし、ここで乗り越えなければいけない山場がいくつかあります。。。

最近は上手く車の鍵を隠している事もあって、父は無事、車の運転をしていません。

名義は父のまま、障害者手帳を交付してもらっているので自動車税が免除。(ここは家計的にとても助かっていますが)

しかーし、父は今年あと数ヶ月で免許更新。。。。。

父は全く運転していません。おそらく、自分でも出来ない、してはいけないと周りから言われている事は理解しています。

でも面と向かって、その現実を突きつけられる事は父にとって崖から突き落とされるほどの恐怖です。

辛い。あんなに運転が上手で、好きで、自由に乗れていたのに。

 

今我が家で乗っている愛車は10年以上は乗っています。

この車で、仕事で忙しい中、父は色々な所に連れて行ってくれました。

私がまだ高校生の時、納車したての車で夏休みに何百キロもある上高地までドライブしてくれたなぁ…

軽井沢にもよく連れて行ってくれたよね。

その後父の症状が出て来て、仕事も卒業。

 

数年して、私が免許取りたての時には一緒に駐車の練習もたくさんしたよね。

その頃から父の座る場所は助手席に徐々に定着。

よく、『運転してると周りが見れなかったから、助手席もいいなぁ』と

本音半分、病気の自分に言い聞かせるように言うようになりました。

 

長い間お世話になっている車の販売店さんは父が認知症だと知っていてくれています。

次の更新は危ないですね、と心配してくださって有り難いです。

母とも、もう今度は更新出来ない、と話をしています。

 

自分の名前はギリギリ、書ける。

4桁の暗証番号は、たぶん、無理。

 

5年前は私達の言う事は無視し、警察署へ更新に行きなんとか出来てしまいましたが、

もう無理でしょう。

 

私は娘ながらこんな事を考えてしまいます。

 

更新だけして、絶対に運転はしない。

 

たかが紙切れ1枚、カード1枚の事なのですが、

お財布の中から必死でいつも出し入れして確認している父にとっては

病気の前から色々なものを失っている自分にとっての、

唯一、自分が以前と変わらない“自分”であると実感するための証明書、なのです。

 

たかが免許証、車なんかなくても他に移動手段を確保すればいいだけの話。

他人からみれば感情の問題ではなく一刻も早く免許取り消し、絶対運転させない!と怒られると思います。

私も人様を巻き込んで危険な目に遭わせるのも、遭うのも絶対に嫌です。

でもね、こればっかりは葛藤せずにはいられないのです。

他人に迷惑かけずに、なんとか父にとって円満な運転卒業とさせてあげられないか。

 

また、自分は一つ失った、という感情がどんどん認知症患者を追いつめます。

 

買い替え予定の車は同じ車種でも最新モデル。(ホントは違うモデルにしたかったケド)

キーじゃなくてボタン式。(あたしも慣れてなくて怪しい…)

色もちょっと違う。(さして覚えやすい色味でもないけど)

果たして父は新しい車を我が家のものと認識出来るのか。

 

父が認知症になって、世の中の様々なものが一段とめまぐるしく発展、変化しているように感じます。

 

時代について行けない者に対して世の中は、容赦ありません。。。

 

無意味な考えと会話

最近の父の会話は、以前に比べてだいぶ意味不明になる事が多くなりました。

所々は普通に見えるけど、、、毎日一緒にいる家族からすると一目瞭然。一年前よりも進んでいるな〜と感じます。

私と母の会話に必死に入ってこようとし、聞くと『ああ、前にもいってたよな』とか

『ああ!そうだよ前からそうなんだよ、』とか…

とにかく知ったかぶるのです。

そうやって適当に話を合わせているから、他人様と会話しているとなんとなく雰囲気は会話出来てしまっているように見えるのです。

ですが、実際は今会話していた内容は、毎回本人にとっては初めて聞く事柄だし、

数分後にその会話をすると、先ほど話していた内容はもうすっかりきれいさっぱり。

毎回上書きなのです。上書き保存は出来ません。そのままウィンドウを閉じる感じ。

 

家にいてもよく寝ています。食べて、庭に出て草むしりやら掃除やらをして。

たいして体力を使わなくてもなんだかぐったり。。

これは新たに追加されたウィンタミン薬が効いている証拠でもあるようです。

ウィンタミンは量によってその人その人で興奮状態の鎮静効果が違うようです。

量はご家族で効き目の様子を見てみて下さいと先生から言われ、今調整中なのですが

確かに以前と比べて不穏状態は押さえられている様に思います。

でもそのぶん、家にいても出かけても疲れてしまい眠そうにしている事が増えています。

 

私としては、

散々人に何回も同じ内容の事を説明させて、しかも会話にも半ば無理矢理な感じで入って来て、、んで結局覚えてなくて、、、、

家にいるのも飽きたといって出かけたいっていったからいざ車出したのに

言い出しっぺが結局すぐ疲れて、おまけに何所行きたいの?まだ見るの?ともう帰りたそうにぶつぶつ眠そうな顔して文句を言って。。。

しかも落ち着きが無いのですぐ何処かに行ってしまう。。。

おいっ!!!

とつっこみたくなる横暴さ。病気じゃなきゃ絶対こういう人と友達になりたくない笑

 

病気は仕方ないけれど、私の時間も無限ではない。

時々ものすごく悶々としてしまうのです。

一人で行きたい事や友人と共有したいと思っていた出来事だってある。

でも私にとっては最優先されるは家の事情になる。

もし、父が自分の人格が変わっていく病気でなく普通に年を重ねて行けていたなら、

子供の私はどんなふうな人生の選択をしていたのだろうか、

と考えても仕方の無い事を考えたりなんかもするのです。

無意味なんですけどね。

寝て起きて、そんなこと考えても何もはじまらないだろー!!やるしかない!!

と自分を奮い立たせる、毎日です。

苦しいのは誰だ

名古屋フォレストクリニックで診察してもらい、

その後近郊にあるコウノメソッド医院に受診することになりました。

結局最初に紹介された医院は受付が出来ないとの事で、、

フォレストクリニックのホームページから調べ、その他諸々自分たちが通院出来る条件と合わせながらクリニックの選択をしました。

これからコウノメソッド医院に受診してみたいと考えられている方は、

最初から近郊にある実践医に行っても良し、河野先生にまず診てもらおう!と

遠くても名古屋へ行ってみるも良し、だと思います。

私はまずは実際提唱されている河野先生に診て頂きたいと思い予約しました。

ですが今現在、近郊でお願いしている先生もメソッドに沿って診て下さっていると感じますので直接こちらでも良かったのかなぁとも今では感じています。

どちらにしろそれぞれ合う合わないの感じ方が違うので何とも言えませんが…

 

私は近郊でお願いし始めた医院の先生(以下E先生)の診察で、

これからはこの先生に診てもらいたいと確信出来た事がありました。

それは患者本人の立場にたって、介護する家族にとって、

それぞれの辛さ、大変さをみてくださる事でした。

当たり前の事かもしれませんが、なかなか診察していてそれを感じるお医者さんていないように感じます。

以前診てもらっていた病院は、ただ二ヶ月に一度、本人に近況を聞いて家族にその他どうなのか聞いて。はい、じゃお薬ね!という感じ。

こちらから最近こんな症状で困っていると言っても、

しょうがないからね、症状だから。

どんどん進行していくのは治せないし、まぁ攻めの姿勢でいかないように守りで行くしかないよね。

というようなアドバイス?しかありませんでした。そして薬を増やしてみたり…

 

いやね、治らないのなんて重々承知してるし、もしかしたらって希望も散々打ちのめされてるからそんなのわかってるけど。

なんていうか、治らなくとももっと周辺症状が少しでも前向きな方向にいくようなアドバイスが欲しいのです。プロフェッショナルな方に。。

 

ただ近況報告して薬出してって…それってどうよ、と思っています。

こちとら時間ないからね、どんどん症状は進行するんだから。

だからこそ毎回毎回の診察で三歩進んで二歩下がっても、今度は違う方向にでもまた三歩進みたいのです。

だってそれしか方法がないんだから。治療薬ないんだからさ。

 

本人が最近怒りっぽく、とりわけものすごい形相で独り言で

『ちくしょうっ』『バカっ』とぶつぶつ言い始める不穏な発作が始まると、

私と母はじっと耐え忍ぶしかありません。

ちょっとでもとばっちりが来たらも〜最悪です。こっちのテンションもがた落ち。。。

前の病院では『無視してほっておくしかないね〜』と言われましたが、

いつ起こるかわからない不穏に怯えて過ごすのって、もう本当に最悪なのです。勘弁して。

 

同じ症状をE先生に相談したとき、

『わからない事だらけ、出来なくなる事だらけ、どうしてこんな状況なのかさっぱりわからない不安、苦しみは本人にとっては計り知れない。ご本人が何より辛く苦しく感じているでしょう。独り言もそういう所からきているのもある。本人の不安を軽減させてあげる事が、またご家族にとっても安定した介護をするための負担軽減にもなる。』

と言われ。

私は、

父本人が何より一番辛く、不安で、救いの無い苦しさを感じているのだという事を改めて気づいたのです。

日々一緒に生活していると、そういった当たり前の事を顧みなくなってしまいます。

というか、そういった余裕も無くなってしまうのが現実です。。

E先生は介護する我々側の立場も考えてくれたというのが私たちにとって救いでした。

確実な方法が無いとわかっていても一緒の方向を見て考えてくれる、というのが重要なのです。

 

 

父も母も私も、みんなそれぞれに苦しい。

けど、三歩進んで四歩下がってしまっても、

一緒にまた次の一歩を出し続けたいのです。