年頃オンナと父と介護と

アルツハイマー→ピック病と診断が変わった父、同年代が愛だ恋だの言ってる時から介護と戦う乙女の日記!!

またまた久しぶり

あっという間に月日が経ってしまった。

介護生活が始まった時から、この2020年まで山あり谷ありだった。

特にブログを始めた2015年からのこの5年間は怒涛の月日だった。

父の状況も急速に変わったこと、それに伴い私たち家族も精神状態も目まぐるしく変わり

選択することばかりで、あっという間の日々だった。

心が追いつかなくて、塞ぎ込んでしまうことも多々。自分の無力さ。

燃え尽き症候群のよう。

 

父は今現在元気に過ごしてくれている。

しかし2018年からは自宅で過ごせなくなってしまった。

自宅に戻ってくることを目指していたが、家族の判断で断念した。

少しずつ、介護記録も兼ねながら、このブログに改めて記録いくつもりです。

 

とにかく、今は早くコロナが落ち着いてくれるよう願うばかり。

またまた1年以上も空いてしまいました。。。

昨年1年間が怒涛すぎて、こちらに記録もできませんでした。

今現在から振り返ってちまちまと書いていこうと思います。

とりあえず父は今も元気です。

 

昨年の白内障の手術の経過が中途半端なまま終わっていましたが、

結果としては無事に両目とも終了し一週間の入院を経て無事退院しました。

(その眼科さんは普通の人でも両目の白内障手術は一週間の入院という用心深さ!)

父が無事にこと無く入院生活を終えられたのは、私が一緒に入院していたから!!!

に尽きると自負しております。

入院当日などは見知らぬ場所で不穏になったこともありましたが、私が目に入るところにいたのは

父にとってかなりの安心材料になったはず。

認知症の人は自分がなんでここにいるのか、何しにきたのか、わかりません。

それをまだ初期の症状だったら口にして訴えることもできますが、中期以降の進行状況では

その不安な思いさえ自分でうまく表現できません。

そういった本人のストレスをいかに側にいる人間が和らげてあげれるかで

周辺症状である不穏な行動、言動、徘徊などを減らせるのかな〜と介護していて感じます。

 

定期的に術後の検診があるのですが、視力検査が本当にストレス

介護者の私もですが、何より本人にとって本当に酷なんです。

しかも、そこの眼科は他の患者さんにもオープンな空間で、

こっちにしてみれば、いたたまれない姿を晒してるようなもんなんです。

実際小声で聞こえてきます。

「まだ若そうなのに大変ね」「娘さん偉いわねぇ」←これよく言われる(笑)

 

見えててもそれを右、左、上、下の4種類の言葉と輪っかの形が脳みその中で結びつかないし、

だいたいどれ見てたか数秒後にはわからなくなっちゃう。

なんだかよくわからないけど、自分はうまく出来てないから迷惑をかけている、

という感情だけは本人に残るんです。

検査の人は言葉こそ優しいけど絶対内心、何回言わせんのよ、と思っている表情

(すいません、これが我らの誠意いっぱいなんデス)

 

1年経って、だんだん検診の足が遠のいています、、、。

とりあえず父の目はテーブルの上のお菓子が見えてるから大丈夫だろう。。。

 

白内障の手術と入院

なんだかんだでトントン拍子に手術日が決まり、なんと今絶賛入院中なのです!

私がつきっきりで約7日間の予定。

白内障の手術って日帰りもあると思うのですが、父は入院なんです。

父の場合は手術中に動かず、耐えられるのかというのが最大の難所でありました。

実は一回病院にいってから、

 

え、てか認証の人って手術なんか耐えられなくない?不穏になっちゃわない??

と母と不安になり、

普段コウノメソッドからお世話になっているかかりつけのE先生に相談に行きました。

先生は、確かにそういった認知症の患者に対応している眼科という視点から探してみるのも手ですけどね、、、ん〜 と困った様子でした。

結局、E先生が眼科の先生宛に今の父の状態を書類にまとめてくださり、眼科へ持っていくことになりました。

結果的に思えば、最初にE先生に、相談すれば早かったのかぁとも思います。

でもE先生がどこか眼科を紹介してくれるということはないようでした。。紹介してくれると色々説明しなくてもこっちは安心なんだけどな〜〜

私たちがもっと頼み込めばわかりませんが、今回はすでに眼科に行った事後のことでしたので。。

 

最終的に最初に白内障の手術の話をしたクリニックで入院となりましたが、

その前に念のために何件かの病院に認知症患者に白内障の手術は対応しているのか?と問い合わせをしました。

他のクリニックでは、術中に動いてしまうなどがあった場合、全身麻酔が必要となるのでその設備が整っていない、と言われ、

大学病院では場合によっては全身麻酔で行う人も請け負ってはいるが、ただいまかなりの人数が順番待ちしているのでいつになるのかわからない、と言われ、、、、

 

私も母も、父の場合は全身麻酔じゃないと暴れちゃうんじゃないのかね〜と思ったのですが、そこはE先生も眼科の先生も局所麻酔でOKと判断されていました。

 

なので結果オーライということで今に至っています。

片目が終わったので、あともう右目のみ!頑張れお父ちゃん!!

認知症患者にとっての眼科

ある日、ものもらいになってしまった父を眼科で診てもらったところ、目の状態が芳しくないと先生に言われ、詳しく診てもらうようにと言われました。

しかもなるべく早めにねって、、、、

私もその時はまだ仕事をしていたので、なかなかすぐに連れて行ってあげれなかったので、最初の診断から早2ヶ月くらい経ってしまいました。

後日、県内の眼科専門のクリニックへ行ったところ、白内障の手術をしないとちょっとその他の病気になるリスクが高いとのことで、急遽白内障手術という大イベントを乗り越えなければなランクなりました。。

 

手術の前に何回か検診で病院へ通うのですが、

まーーーーーー大変。

視力検査って普通だったら「上、右、下」とか言って終わりですけれど、

集中力がない父は、3列ある視力検査の表のランプが(オープンな広い空間に3台の視力検査の台がある病院でしたので)自分の所以外が付いてしまうと、

そちらに目がいってしまい、どれを見るのかわからない。

矢継ぎ早に言われる検査士の方の言葉が理解できず、力んでしまい汗だく。そんなに早口じゃあないんですけどね。。

見えてるあの形の一体何を言えばいいのかわからない。

検査士の方も一生懸命「電気ついてる所だよ〜輪っかの切れ目がどっちだかいってね〜」

『?ワッカ?』『黒い輪っかの切れ目がどこだかだよ』

一生懸命見ようとするから、身体の上体が動きまくりなので後ろに立って父を支える私。

父はものを見て何かそれを右、左といった自己判断を口にすることがかなーりできなくなっているように感じます。物事をうまく説明できない。

検査士の方が「手で形つくってもいいよ〜」といってくださったので、

私も、ほら、こういうのとかさ!と手で真似をするとちょっと理解したのか、

ひたすら硬い腕を捻りながらんん〜コッチ、と格闘していました。

 

他の日には「ひらがなにしてみましょうか」と検査士の方の提案で

ひらがなを答えようとするも一番上の『え』は言えたものの、

その下に続く『こ』『に』がなんだか二つ同時に目がいってしまい、今自分がどっちを答えるのかがすでにわからず、どっちだか『???』といった感じでした。

 

 

視力検査もさることながら、視野の検査はもっと大変で、

大きな半円の中に顔を入れて正面の5mmほどの穴を見ながら、なおかつ視界にレーザーの丸い白い光が見えたらボタンを押す、というものでした。やったことある方はわかるかと思います。。

①ずっと一点を見つめる

②目線をずらさないまま視界を注意する

③丸い光が見えてきたらボタンを押す

今の父には3つのミッションをクリアするのは至難の技です。というか1つもねぇ。。

 

こんなんでほんとの視力や視野なんてわかんないよな〜。。

 

父は自分でもうまく言えない、かつ視力が下がってしまったという悲しい感情が残ってしまったようで、その後はとてつもなく疲れてしまっていました。

私はただ側についてあげることしかできず、なんとももどかしいものです。

 

最初は眼科の看護師さん、検査士さん方はいちいち何か検査のたびにくっついてくる私を、何もそんなに心配しなくても、、と思っていたようですが、

検査の状況を見て、あ、なるほどね、といった具合に察してくださいました。

 

認知症患者にとって、自分の体の悪い部分を自分で表現する、

ということがとてつもなく大変なのだということを

ぜひ多くの方に知っていただきたいです。

 

 

 

 

 

あっというまだ

以前のブログが2016年2月、、、、

ブログタイトルの通り、年頃真っ盛りになってしまった。あっという間だ。

このほったらかしていた1年とちょっとの間、日々めまぐるしく過ぎてしまった。

記録と思って書き始めたブログも、正直言葉にするのも億劫になることだらけの一年だった。

でも、でも、やっぱり記録にしておかないと、私自身がすっかり忘れてしまっているので、、ぼちぼち再開してみようと思います。

 

まずは父の状況を箇条書き↓↓↓

・相変わらずデイケアには行ってない(これは私たちが動けていない)

・レミニール、ウィンタミンの他にメマリーも飲んでる(特にふらつきなど変化なし)

・家の中で迷うようになった(1.5人くらいがちょうど良い広さくらいの家の中)

・家族が増えたり減ったりする(みんな帰ってきた?とか怪奇発言が少々)

・一人でほとんど散歩をしなくなった(というか門にバイク錠で応戦し徘徊阻止!)

・ブチギレ回数は減った(でも知らない宅急便や自治会の人は威嚇!)

・会話がだいぶ噛み合わなくなった(これは言葉で説明できないので是非会話して実感してほしい)

・暗闇が怖くなった(トイレは常に電気つけっぱなし)

・朝起きると家に帰りたがる(!?)

・床屋に行かなきゃとやたらヘアスタイルをチェック(ここ10年は髪は私切ってますケド、髭は自分でブラウンで剃ってたよね昨日…)

・爪が上手くきれなくなった(特に左で切る時、危険のため娘出動)

・お風呂が一人だと難しくなった(何でどう洗うのか迷ってしまう)

・ちょっとお目目が調子悪い(緑、白内障を併発発見。。)

・お腹の調子がだいぶ良くなった(軟便が硬めになってきた。薬の副作用が抜けた?)

・体重がちょっと減った(しかし甘いものは欠かせない)

・友達が増えた(迷いニャンコのつー太郎)

 

ムスメの状況

・新しく就職(社会に戻れたような気がした)

・一年で退職(介護との両立は色々と限界に達した)

・相変わらず安定のシングル(大多数の友達も共に)

・体重が減らない(どどどうして)

・食欲が増えた(これだよ原因)

 

ま、ざっとこんなもんでしょうか。いやもっとたくさんあったんだけどね。

どれが出来てていつから出来なくなったとか忘れちゃったよね〜

 

なんとか本人は毎日一生懸命、頑張って生きてます。

私も母もなんだかんだ、笑いながら生活はできています。

 

でもこうしてみると私の状況も負けじとヤバめだなコレ。。。。

 

 

 

 

 

 

 

お年頃

私も気付けばもう直ぐ20代後半もいいところ。

 

周りの友達は結婚、出産。

 

バリバリ働いている友達は、ある程度責任あるポジションになったりしている。

 

皆大変ながらも自分の人生を生きている。

 

よく高校時代の友達と集まると、

 

約10年前、まだまだキャピキャピ騒いでいた高校生だった自分たちが、

 

こんな風になるなんて思ってもいなかったよね〜という話になる。

 

 

 

私は、なんとなく自分の10年後がこんな風になるのかという予想はしていた。

 

私が高校生の時にすでに父の様子はおかしくなっていたし、我が家はちょっとばかし複雑で

 

そう単純には自分の好き放題な人生の選択は出来ない、とどこかで腹をくくっていたような気がする。

 

たいそれた覚悟ではないけれど、諦めのような、どうあがいても自分の力ではどうにもならない事実があることは解っていた。

 

友達が、あの人かっこいいとか好きだ告られただのキャーキャー騒いで楽しんでいたのも、

 

どこかで冷めた目で見ていた。

 

 

 

そういう、若者らしい楽しさを羨んでいたのかしら?と自分に問いかけてみると

 

・・・・・・・・・そうでもない(笑)

 

幸いなことに私自身、元来あまり恋愛には興味がなかったし、他に楽しんでいた趣味や

 

それを上回って家族と過ごす時間が好きだった。

 

でも、今思えば友達だって本当は家に帰ればそれぞれ事情があって、大変な子もいたのかもしれない。

 

ちゃんと自分の感情をその場その場でコントロールしていたのかもしれない。

 

楽しもうとしても、どこかで我が家の事情がチラついてしまう私こそが未熟者だったのかもしれない。。。

 

10年経った今でもこうやって時々会って、笑いあえる友達を前にして

 

自分も年とったなぁ〜としみじみ考えます。

 

もう10年経った時に、私たちには一体何が見えているのでしょうか。

 

不安でもあり、楽しみでもあり、、、、

 

 

 

 

 

デイケアってどうなのかしら?

今、我が家の課題は父をいかにしてデイケアサービスに連れていくか。。。

 

先日診察時に初めて先生から

デイケア使いましょう!』

と言われました。

 

 

これは私も母も以前から考えていたことなのですが、

 

なかなか父の手前切り出せずにいたものでした。

 

診断当初から通っていた以前の病院では言われたことはありません。

 

むしろ家族のこちら側から

『先生、デイサービスとか使用してみた方が本人にとって良いでしょうか?』

 

と質問しましたが、医師の返答は本人が行きたければねぇ〜という感じで

 

どっちでもいいんじゃない?というスタンスでした。。

 

今思えばちょっと投げやりだよな〜という対応だったような気がします。

 

当時、本人にも

 

体のためにも行ってみた方がいいんじゃない?案外楽しいかもよ!

 

介護保険料せっかく払っているのだし使用してみたら?

 

とおだてながら誘っていたのですが、父は返事をしませんでした。

 

デイサービスという所が、お年寄りがたくさん集まっている集会所、

 

ちょっと障害があるような方が集まっている場所、という認識があり

 

本人の中では偏見を持った、あまり良い印象ではないようで。。。

 

確かに、お年寄りというにはまだ早い年齢だったし、本人にとって不安になるようなら

 

無理して行かせてもかわいそうかね、と母と話し、そのままなかなか進展していませんでした。

 

そんな所で、初めて先生から面と向かってはっきりと行きましょう!と言われ、

 

本人も渋々『………………………………行きます。』(顔はちょっと不機嫌)

 

と返事!!すぐ忘れちゃったけど笑

 

今いろいろと調べながら、父に合うところはどういったところか、検討しているところです。

 

ピック病とアルツハイマーを兼ね備えた元気な父を、

 

果たしてうまくデイケアデビューさせれるのか。。。

 

いろいろ経験豊富でこんな面倒な父のような案件でもうまく対応してくれるケアマネさんに出会えれば良いのですが…

 

乞うご期待ください〜!^^;